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上野焼 庚申窯 こうしんがま 中皿 蕎麦用 そうめん そば皿 約22.5cm ※再入荷の予定はありません koushin-001

【在庫1点限り】

















■モニターの都合上、掲載写真と実際のカラーが異なる場合がございます。


「伝統」をテーマに決めて作った作品。蕎麦用のお皿で、中に簀子を敷いて使うことを想定しています。荒い土を素焼きせずに、中に木の灰を振りかけて本焼きしたものです。【高鶴裕太 作】



中に溜まった釉薬が美しい器。蕎麦用のお皿として作られていますが、煮物皿やサラダボウルとしても使えます。しっかりとした深さがあるので汁物があっても大丈夫。また、フチが分厚くフラットに作ってあるため、菜箸をおいても転がり落ちないのが便利です。



◇商品詳細◇
●サイズ:直径約22.5cm 高さ約5.0cm
●素材:陶土
●仕様:電子レンジ使用可能、食洗機対応 ※直火不可
●焼き物:上野焼
●生産地:福岡県・福智町
●作りて:庚申窯


【注意点】
■モニターの都合上、掲載写真と実際のカラーが異なる場合がございます。
■1点1点手づくりなため、釉薬のムラがあり、サイズやデザインが異なります。
■「ピンホール」とよばれる1ミリほどのへこみが ある場合もございます。ピンホールは、陶器特有の現象であり、不良品ではありません。





【上野焼の歴史と庚申窯(こうしんがま)】

1884年(明治十七年)に十時 器八郎(ととき きはちろう)が作陶から手を引き、上野焼本筋の窯は途絶えてしまいます。

そこで1899年(明治三十二年)地元有志、熊谷 九八郎(くまがい くはちろう)、高鶴 萬吉(こうづる まんきち)らが復興に着手します。田川郡からの補助金をたよりに細々と窯を築き、しばらく製陶に取り組みますが当時は陶作品の購入者は稀で、一度は窯小屋の火災に遭うなど苦労の時代でした。

こうした中、萬吉には子供ができず、ついには製陶から手を引き熊谷だけが残り、窯を存続させました。

1938年に入ると高鶴 萬吉の弟の子鱗作(りんさく)が上野窯復興を思い立ち号を高鶴 城山(こうづる じょうざん) として高田焼(こうだやき)の上野(あがの)兄弟を呼び寄せて着手し、高鶴(こうづる)本窯を築きます。

翌年1939年から製陶を開始しますが、世情は日本事変に入り1941年には第二次世界大戦が始まります。1944年に政府は美術工芸保存の資格認定の許可制を作り、これを切り抜けるも1950年頃までは販売は僅少でした。1955年に高鶴(こうづる)本窯は長男の茂勝(しげかつ)(号は高鶴 夏山)に家督を譲ります。

1971年に城山の末子であった高鶴 智山(こうづる ちざん)が39歳とのときに庚申窯(こうしんがま)を築窯し、翌1972年から営業を始めます。作品の向上を図り特別に薪専用の窯を建設し、昔日の作品に劣らないものを目指し日夜研鑽を重ねています。

上野焼 庚申窯 こうしんがま 中皿 蕎麦用 そうめん そば皿 約22.5cm ※再入荷の予定はありません koushin-001

型番 koushin-001
販売価格
7,700円(税込)
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